【 高野口駅 】
伊都郡高野口町は、2006年3月1日から橋本市高野口町になった。平成の大合併のひとつだ。その名の通り、高野山への入り口に位置する。その玄関となるのが、JR和歌山線の高野口駅で、今回の旅は、この駅前から始まる。旅人は、柳橋さやかさん(写真左)と覚道沙恵子さん。「ラジオで女子旅」初年度から(実は初回から。柳橋さんは初回の旅人だし、当時、和歌山放送の局アナだった覚道さんは初回から番組サポーター=ナレーションを担当している)番組に出演している2人だが、コンビを組むのは初めてとなる。覚道さんは「柳橋先輩についていく」と頼りにしているようだが、どうなることやら。
この駅は、1901年に紀和鉄道の名倉駅として開業し、2年後に高野口駅に改称された。駅舎は木造で、1912年(明治最後の年)に建築(改築)された。女子たちは昭和を感じるなどと言っていたが、実際は、さらに古かった。現在は、無人駅となっている。高野口駅の駅舎の中に、地元・高野口小学校の2023年度卒業生が作った顔出しパネルがあった。あれば、顔を出すのがお約束だ。パネルは2種類ある。左側の馬に乗った風のは、誰だろうか? そして、女子たちが顔出しをした右側のパネルには「Welcome ババタレ坂」とある。インパクトがあるというか、衝撃的なネーミング「ババタレ坂」。今回の旅で解明したい。
観光ガイドブック「はしもとめぐり」
橋本市のホームページによれば、2018年に作成され、すでに配布は終了しているという。しっかりとした観光冊子で、橋本市の魅力が網羅されている。そして、現在は、PDFデータのみ(ダウンロード)利用できると記されている(こちらからどうぞ)。女子旅チームは、少し前に道の駅で入手していたものを使っている。
高野口といえば「パイル織物」ということまでは聞いたことがあっても、詳しくは知らない(すみません)。だったら教えてもらおうと、「高野口パイル織物資料館」を訪ねた。旅がスタートした駅前は、駅の南側。そこから踏切を渡って駅の北側に出ると目の前に、紀州繊維工業協同組合があり、その西隣に資料館がある。ホームページによれば、パイル織物誕生110周年記念事業として、1986年10月に開館したらしい。ということは、パイル織物が誕生して、まもなく150年ということになる。組合の福嶋参事に案内をお願いした。
高野口の町は、高野口駅の南側に広がっている。高野口は、大阪から高野山に向かう高野街道と、和歌山から奈良へと向かう大和街道が交わる場所で、人の流れも物流も多く、また、高野山参詣の玄関として、かつては、宿場町として栄え、駅前には旅館が並び、客待ちの人力車が数百台なんていう時代もあったらしい。そんなわけで、駅の南側をめぐってみる。
[ババタレ坂]
女子たちは、一番気になった「ババタレ坂」を目指す。インパクトがある名称であるとともに、高野口駅舎内の顔出しパネルに「Welcome ババタレ坂」とあったことから、シンボルなのではないかという思いもあったためだ。駅近くに車を停め、路地を歩いていく。
もう少し路地を歩くと水の音が聞こえてくる。滝の井戸とある。県の名水にもなっている。生活用水に使える水が、絶えることなく湧いているというのは心強い。ただ、飲料水指定はされていないので、飲み水として使う際は、煮沸するよう注意書きがある。
さらに南下し、国道24号を超えると、歩道に出た。歩道には違いないが、延長500メートルほどと、そんなに長くない。実はここ、高野口から岩出へと農業用水を送る小田井用水(世界かんがい施設遺産)の暗きょの上だそうだ。小田井用水については、2019年5月の「橋本から、紀の川の水を西へ “大畑才蔵”を訪ねる旅」(三浦ちあき&上林君江)で詳しく紹介している。
今度は、国道24号の北側へ。そう、再び、国道を渡る。せせらぎ公園からも近い。校舎が重要文化財となっている高野口小学校だ。こどもたちの声が聞こえる。高野口駅の中にあった顔出しパネルを作ったこどもたちの出身校ということになる。学校の敷地の外側にちょうど道路がある。まわりを歩いてみた。創立期とパイルの発祥が近い。パイルで栄え、こどもが増えたと考えられる。女子たちは、立派な正面玄関(校門)に感動する。
最後は高野口公園にやってきた。柳橋さんは2年ぶりになる。2022年8月「橋本から紀の川、パワスポ発掘の旅」(伊舞なおみ&柳橋さやか)の時に比べ、ロサリオンの色が鮮やかになっていることに気がついた。調べてみると、去年(2023年)12月に塗り直されていた。