【 大島 】
串本町といえば、本州最南端の潮岬と、民間初のロケット発射場「スペースポート紀伊」があることが有名だ。今年3月、初号機ロケットの発射は上手くいかなかったが、2号機の年内発射に向けて動き始め、注目が集まっている。大島は、串本の南東沖1.8kmに浮かぶ、和歌山県で最も大きな島で、1,000人以上が暮らしている。かつて、巡航船やフェリーで本州側と結んでいたが、くしもと大橋が開通して、行きたい時に行ける島になった。それから、25年。今回は大島を攻める旅らしい。旅人は、先月に続き、三浦ちあきさんと柳橋さやかさん。このコンビは20回目、番組は90回目となった。旅は大島の南側の小さなビーチ「白野(しらの)港・海水浴場」から始まる。南国だからか、海開きという節目がなく、一年を通じて遊泳が可能という。水が透き通り、とても穏やかだ。
大島の白野港・海水浴場
☆番組は、ここから聞くことができます。
【 アメリカの接触 】
同じコンビで、ちょうど1年前の「串本、アートを見つけ、楽しむ旅」で訪ねたJR串本駅前の船の銅像。レディ・ワシントン号。ジョン・ケンドリック船長らが、黒船来航よりも60年以上早く、日本に接触してきた。江戸時代、鎖国日本へのアメリカのファースト・コンタクトで、船長らは、日本に初上陸したアメリカ人となった。この史実が、展示・紹介されているのが、日米修交記念館。
日米修交記念館
レディ・ワシントン号
切り立った崖と岩景色で知られる「海金剛(うみこんごう)」。その近くにあることから、海金剛を訪れた人たちが、「この建物は何だろう」と訪れることが多いと聞いた。少し古めかしいオレンジ色、斜めに建っているのかと思わせる外観は、帆船のイメージという。記念館管理人の荒木雪野(あらき・ゆきの)さんが教えてくれた。
日米修交記念館へ
荒木さんに聞く
レディ・ワシントン号とグレース号は、それほど大きな船ではなかった。電車の車両1両くらいというから、アメリカからの長旅は大変だったろう。日本は鎖国中、そして、将軍家ともゆかりの紀州藩のお膝元ということで、歴史から抹消されていたようだ。だが、アメリカで記録が公となり、日本・串本でも、紹介されるに至った。館内には、当時の人が描いた帆船の絵があり、模型の展示もある。アメリカには、復元船もあるそうで、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」に登場したらしい。
日米修交記念館を見学
管理人の荒木雪乃さんと
記念館は屋上に上ることが出来る。眼下には険しい海金剛と、荒々しい波。絶景・・・ともいう。
日米修交記念館の屋上から
【 トルコとの友好 】
串本とトルコの国旗は面白い。白地に太陽の赤い丸が描かれた日本と、赤地に白色で月と星が染め抜かれたトルコ。この2国の友好は運命だったのかも知れないと思わせるが、偶然以外のなにものでもない。今度はトルコ記念館を訪ねた。日米修交記念館に比べ、知名度があるが、女子2人は初訪問だったようだ。
日本とトルコの国旗
トルコ記念館
この記念館は、日本とトルコの友好の歴史が紹介されている。建物の外壁は青いトルコタイルが美しい。管理人の森真理(もり・まり)さんが教えてくれた。きっかけとなったエルトゥールル号の遭難事件についてはもちろん詳しく紹介されてるが、それだけじゃない。映画「海難1890」でも描かれたイラン・イラク戦争での日本人の脱出劇についても紹介されている。そのほか、両国が育んできた友好関係がこれからも続いていくであろうことがわかる。
管理人の森真理さんと
森真理さんに聞く
いつになく、真剣な表情で展示品を見学し、説明を読む女子たち。エルトゥールル号はオスマン帝国の軍艦で、明治天皇への拝謁のあと、帰途についた矢先、台風によって、大島近くの岩礁に座礁する。嵐の中、島の住民らは懸命に救助にあたったが、500人を超える人が犠牲になった。
トルコ記念館を見学中
トルコ記念館を見学中
記念館の壁に丸や四角の窓があることに気がついた。ここから、遭難現場となった海域を見ることができる。窓は、低めの位置に設置されていて、子どもたちへの配慮だと知り、伝えたいのは次の世代なのだと知る。
窓から遭難現場が見える
窓から遭難現場が見える
ガラスだけの窓以外に、船のシールが貼られた窓がある。オスマン帝国の軍艦、エルトゥールル号と海域をあわせて見られる工夫なのかも。面白い。
窓に船影のシールがある
窓から見た遭難現場
この記念館も屋上に上がることができ、事故海域を眼下に見学できる。屋上から見ると遭難現場だけではなく、その周囲を含めた海景色が広がる。岩礁はもとより、海面下も水深が浅いことが想像に難くない。そして、少し離れた緑の中に立つ慰霊碑も見える(実際には、慰霊碑の近くに記念館が建てられたという経緯)。
トルコ記念館の屋上から
屋上から慰霊碑が見える
エルトゥールル号は、大島に接近したくてしたのではなく、沖を通過する予定が、台風による風波で流されてきたのだろう。座礁した軍艦は大破し、多くの人が嵐の海に投げ出された。日本人でも外国人でも、目の前で遭難していれば助ける。その島民の活動が、日本とトルコの友好のきっかけとなった。女子2人は、慰霊碑にも立ち寄り、手を合わせた。串本町内には、エルトゥールル号の銅像もある。ホテル「メルキュール和歌山串本リゾート&スパ」の中庭にあるから宿泊の折には、ぜひ、見てほしい。
慰霊碑に手を合わせる
エルトゥールル号の像
【 古民家レストラン 】
この日の昼食は、港の近くにある古民家レストラン「大裕丸亭(だいゆうまるてい)」で、海鮮メニューを食した。たまたま見つけて、入ったのだが、この古民家は、エルトゥールル号遭難事件の際の島民の先頭に立って、救助活動を行った当時の沖周(おき・あまね)村長の生家だった。トルコ記念館には、当時の模様を記録した村長の日記が展示されている。
古民家レストラン大裕丸亭
三浦さん食事中
運営しているのは南紀串本観光SUN海(さんかい)で、ここは、水産業や観光、アクティビティなどを広く行う大裕岩谷グループのひとつで、ここは、紀州梅まだいや紀州梅真鯛梅を手がける会社だった。びっくり。岩谷裕平(いわたに・ゆうへい)社長に話を聞くことができた。柳橋さんが舌鼓を打ったアオリイカや、三浦さんが絶賛した鯛。おいしいには理由があることが分かった。社長曰く、大島は「日本の心がめぐる島」なのだとか。そんな場所で、今後も、大島の歴史を紹介しながら、安全安心の食材で、新鮮でおいしいメニューを提供していきたいと話した。また、行きたい。皆さんもぜひ。
岩谷裕平社長に聞く
岩谷裕平社長と
【 最初の灯台 】
最後は、大島の東端、樫野崎灯台のエリア。美しい白亜の灯台が見えてきた。灯台のまわりには広場(公園)があり、冬にはスイセンが咲き乱れることで知られている。そして、その一角に大きな騎馬像がある。トルコ建国の父として、トルコ国民から今も絶大な支持を受ける初代大統領、ムスタファ・ケマル・アタテュルク氏だ。この大きな銅像は、新潟・柏崎市(かしわざきし)に「柏崎トルコ文化村」ができた時にトルコから贈られたものだが、縁あって、串本・大島に移設された。「国に平和を、世界に平和を」と刻まれている。「今この時代に突き刺さるメッセージ」と三浦さん。「指さす先には平和な未来があればいいね」と柳橋さん。2人とも、良いこと言うじゃん。
樫野崎灯台広場
アタテュルク騎馬像
日本最初の石造り灯台と、灯台守(とうだいもり)が暮らしていた旧官舎。旧官舎は、登録有形文化財として公開されているので、中を見学。灯台をメンテナンスしていた部品類や客をもてなした痕跡がある。灯台は、中には入れないが、外側は登れる。建設から150年以上が経つが、今なお現役だ。灯台が建立された20年後にエルトゥールル号の遭難事件が起きたという時代推移。
樫野崎灯台へ
樫野崎灯台旧官舎
旧官舎内展示を見学
旧官舎内展示
女子2人は、旧官舎を見学したあと、灯台にも登り、雄大な太平洋の海景色を楽しんだ。
樫野崎灯台に上ってみた
樫野崎灯台から
樫野崎灯台からの眺め
【 くしもと大橋 】
「ここは串本向かいは大島、中を取り持つ巡航船~」と串本節に唄われるとおり、かつては、巡航船やフェリーで、本州側と結ばれていた大島だが、25年前、くしもと大橋が開通して以降は、行きたいときに行ける島となった。番組のHディレクターは、くしもと大橋の開通セレモニーのニュース取材をしたらしい。ちょっと前程度に思っていたらしいが「もうそんなに前なのか・・・」と感慨深げだ。今回の旅ではあちこちで、南国らしく、赤色のハイビスカスの花を見かけた。町の花ではないかと思ったが違った(町の花はスイセン)。
くしもと大橋ポケットパーク
赤いハイビスカス
今回訪ね、展示を見学した「日米修交記念館」と「トルコ記念館」、それに、「樫野崎灯台旧官舎」はいずれも串本町が管理している。それぞれに入館料は必要だが、休館日でなければ、予約などなく入館でき、希望すれば、展示品の説明などもしてくれるようだ。さらに詳しいことや見学に関しての問い合わせは、串本町役場の産業課が窓口となっているから問い合わせてみてほしい。
Top