広川、濱口梧陵を学ぶ旅

【 広川町役場 】

今年は元日に能登半島地震があり、能登地方では被害が広がっている。和歌山市内でも震度3の長周期の横揺れを感じ、遠いけれど大きい地震と感じたものだ。日本は地震列島、どこでいつどんな地震や津波に見舞われるか知れない。そんな訳で、地震防災の先駆者、濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)を学ぼうと、今回は広川町へ。旅女子は、伊舞なおみさん(写真左)と柳橋さやかさん。旅女子紹介としては、童心に返っている斬新な画像。ここは、広川町役場近くの「広川町なかよしわんぱく公園」で、ユニークな遊具もあった。その紹介はのちほど。

童心にかえる女子たち

童心にかえる女子たち

☆番組は、ここから聞くことができます。

広川町役場の前「稲むらの火広場」には濱口梧陵の銅像がある。梧陵さんの銅像はたくさんあるが、躍動感があり、これほど切迫した、鬼気迫る銅像は他にないだろう。津波からの避難を大声で叫びながら、火のついた松明を高く掲げて、村じゅうを駆け回っている梧陵さんだ。安政南海地震の折り、実際に梧陵さんがとった行動かどうかはわからない。でも、きっとしたんじゃないか、と思える姿だ。。
濱口梧陵像

濱口梧陵像

梧陵さんと一緒に叫ぶ

梧陵さんと一緒に叫ぶ

広川町役場を横から見るとダムのようにも見える。思えば、正面玄関は海の方を向いている。もしもの時は、役場が盾(堤防・防波堤)になって、町内を守ってやるぞという決意のようにも見える。そして、庁舎の前には町の木「アラカシ」が植えられてる。アラカシも強い木と聞く。
広川町役場庁舎

広川町役場庁舎

広川町の木:アラカシ

広川町の木:アラカシ

役場の玄関に「稲むらの火」と「広場」の説明書きがある。
役場前庁舎と前の広場

役場前庁舎と前の広場

稲むらの火と広場

稲むらの火と広場

町民憲章の前文に「濱口梧陵翁を生んだ私たちの広川町に誇りをもち」と記されている。梧陵さんは町の誇りなのだと知った。役場玄関前には他に、「稲むらの火」の説明もある。「稲むらの火」が掲載された尋常小学校の教科書のレプリカの展示も。女子2人は読み込む。
広川町民憲章

広川町民憲章

役場前で説明を読む

役場前で説明を読む

そして、役場の前、道路をはさんだ向かい側にあるのが「広川町なかよしわんぱく公園」で、よく見る大型遊具もあるが、ユニークなアニマル遊具もある。「正しい使い方が分からない」などといいつつ、女子2人はしっかりなじんでいる。
遊具と伊舞さん

遊具と伊舞さん

アニマル遊具と柳橋さん

アニマル遊具と柳橋さん

濱口梧陵と稲むらの火と世界津波の日

1854年、安政南海地震による大津波が村を飲み込む直前、濱口梧陵さんの機転で、稲むらに火をつけ、村人を高台に導き、多くの命を救った。その日、11月5日は、2011年、国会で「津波防災の日」となり、2015年、国連で「世界津波の日」となった。また、梧陵さんの勇気ある行動、私財を擲って、将来にわたって、住民の安全のために「広村堤防」を築いた。それらのストーリーは2018年「百世の安堵~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~」として、日本遺産に認定された。今や梧陵さんやその精神、偉業は、国内はもとより世界に発信されている。

【 東濱口公園 】

女子たちは散策マップを手に町めぐりをしている。やってきたのは、東濱口公園。濱口梧陵さんは西濱口家、ここ東濱口公園は東濱口家住宅の庭の一部だ。そして、梧陵さんの偉業として伝わっている復興や防災の取組は、両家が協力して、私財を投じて、推し進めたことだと知った。

マップを見ながら

マップを見ながら

東濱口公園とは

東濱口公園とは

四季折々の花が咲く庭が公開されている。訪ねたときは、梅が咲いていたが、放送の頃は桜の季節を迎えているはず・・・。そんな風に思ったが、今年の桜は開花直前に足踏みのところもある。この公園はどうなのだろう。放送の日はともかく、やがては咲く。そして、「パーゴラ」とは、植物のツルなどを絡ませる藤棚のような「木製の棚」のことだという。
梅の花

梅の花

パーゴラの前で

パーゴラの前で

公園内に、津波の波高が記された標柱がある。後世のために。百世の安堵のために。
東濱口公園の津波高記録

東濱口公園の津波高記録

津波高の記録

津波高の記録

東濱口家住宅の外壁は赤煉瓦塀だ。「レンガ塀が好き」と思いが一致する女子2人。
赤レンガ塀の前で

赤レンガ塀の前で

【 道あかり 】

ランチも町内で。3年前に「稲むらの火の館」の向かいに開業した「道あかり」。店名が、道を照らす「稲むらの火」を彷彿とさせる。さすがだ。1階が物産販売所。新鮮野菜や果物、それに、お土産がある。梧陵さんは、ヤマサ醤油の当主という顔も持つ。「ヤマサ醤油の全商品を置いている」と藤本拓子(ふじもと・たくこ)さんが誇らしげに話した。

道あかりの店内

道あかりの店内

藤本拓子さんと

藤本拓子さんと

2階はレストラン。「道あかり」の立地で分かるように、「稲むらの火の館」のお客さんを当て込んで開業したが、地元客で連日にぎわっている。そして、「稲むら」を冠したメニューもある。公募によって誕生したご当地丼もある。何より安くて美味しい。良いところを見つけた。住民や近隣の人たちも、きっと同じ思いだろう。地元に愛されているのは素敵なことだ。
稲むらの天丼

稲むらの天丼

稲むらの定食

稲むらの定食

お土産の中に「稲むら最中(もなか)」を見つけた。2022年秋、箕島高校生の発案で誕生したのだという。みかんと塩の2つの味。塩は稲むらの塩を使っているとか。これは、あらためて取り上げたい。
道あかり前で藤本さんと

道あかり前で藤本さんと

稲むら最中

稲むら最中

【 稲むらの火の館 】

「稲むらの火の館」は、梧陵さんの生家をベースに、梧陵さんを感じ、楽しみながら、梧陵さんを知ることができる「濱口梧陵記念館」と、「稲むらの火」を踏まえて、津波災害から生命や財産を守ることを学ぶ「津波防災教育センター」がある。2007年に開館以来、世界中から多くの人が訪れる施設。駐車場前にある大きな看板に、梧陵さんゆかりの場所が記された町内散策マップが紹介されている。このマップは、「稲むらの火の館」のホームページからダウンロードでき、今回、女子たちも持っている。そして、耐久高校の選抜高校野球初出場を祝い、激励する記事も掲示されている。広川町と隣の湯浅町は、もうこれ一色。耐久高校は,梧陵さんが設立した耐久社(たいきゅうしゃ)に始まり、現在、学校は湯浅町にある。甲子園大会への出場が決まると、その高校の地元は、祝いと応援ムードにはなる。でも、今回の地元は特に熱い。横断幕も多い。

稲むらの火の館案内板

稲むらの火の館案内板

稲むらの火の館入口

稲むらの火の館入口

まずは、津波防災教育センター1階の津波シミュレーターから。﨑山光一(さきやま・こういち)館長に話を聞きながら、スイッチを押す柳橋さん。水槽の水が少し揺れたと思ったら、大津波がキター!!
津波シミュレーター

津波シミュレーター

津波来たー!!

津波来たー!!

シミュレーターは模型を使っているが、センターの壁を使って、津波をレーザー光線で描く。これは実物大なので、見学者は見上げるかたち。
壁に津波高が描かれる

壁に津波高が描かれる

﨑山光一館長に聞く

﨑山光一館長に聞く

続いては、稲むらの火関係の展示がある2階へ。安政の大地震・津波襲来と被害を詳細に記した古文書「安政聞録(あんせいもんろく)」。その中の絵図を見ながら、﨑山館長が、現場で一部始終を見てきたかのような臨場感のある話を聞かせてくれる。実際には「稲むらの火」の物語どころではなく、とんでもなく大変な現場で、梧陵さんという人は、超人かと思うほどにスゴイ人だと知った。
安政聞録の絵図で学ぶ

安政聞録の絵図で学ぶ

広川町(広村)の年表

広川町(広村)の年表

1986年、ラフカディオ・ハーン=小泉八雲(こいずも・やくも)が英語で書いた「A Living God」。それを原作に、湯浅生まれ、耐久中学出身で、師範学校の学生だった中井常蔵(なかい・つねぞう)が物語を書き、教材公募に出し、採用されたのが「稲むらの火」だ。それら書籍が展示されている。
書籍の展示

書籍の展示

﨑山光一館長と

﨑山光一館長と

津波防災の先駆者というだけでなく、梧陵さんのエピソードは枚挙に暇がない。濱口梧陵記念館では、楽しみながら梧陵さんを感じ、学ぶことができる。いたずら好きの一面があったことも知った。「稲むらの火の館」では「濱口梧陵すごろく」が販売されている(1部200円)。これがまた楽しいすごろくなんだなぁ…。今の若い人たちは「すごろく」を知っているのだろうかなどと思いながら、衝動買い。
濱口梧陵すごろく

濱口梧陵すごろく

裏面は年表と稲むらの火

裏面は年表と稲むらの火

【 広村堤防 】

安政南海地震の大津波では広村は大きな被害を受けた。梧陵さんの機転とアイデアなどにより、村人の命はほとんどが守られたが、家も橋も船も何もかもが流された。困窮する村人を支えながら、梧陵さんは、次の地震津波に備えて、さらに高い堤防を作らなくては、作ろうと決意する。現在に換算して、5億円の私財が投じられたと聞く。それらは村人に職を与えることになり、村の離散を防ぎ、後世の人たちを守る。まさに百世の安堵のために。その広村堤防は史跡であるとともにしっかり現役だ。

広村堤防と防潮扉

広村堤防と防潮扉

史跡広村堤防

史跡広村堤防

堤防は上に上るものではないが、平時ということで、上ってみると、長さと高さを実感できる。広村堤防は、海抜約5メートル、長さ650メートル余で、安政地震の翌年には完成したという。梧陵さんスゴすぎる。
広村堤防で

広村堤防で

広村堤防

広村堤防

広村堤防で、今や「世界津波の日」となった11月5日に、広川町では毎年「津浪祭(つなみまつり)」が開催され、小学6年生と中学3年生が、1年間の無事に感謝し、広村堤防に土を盛る。120年以上続いているという。柳橋さんは、特別番組の取材、リポートのため、去年(2023年)の津浪祭を見学していた。放送には登場していないが、女子たちは、津浪祭の神事が行われる堤防前の「感恩碑(かんおんひ)」を訪ねた。
感恩碑の前で

感恩碑の前で

日本遺産構成資産の説明板

日本遺産構成資産の説明板

広村堤防や感恩碑前がわかりやすいが、広川町内をめぐると各所に、説明板がある。それすなわち、梧陵さんや「稲むらの火」ゆかりの場所が多いことにほかならない。だが、そのおかげで、巡っていくと、地震津波防災知識も増す。素晴らしい取り組みだ。
津波避難地図

津波避難地図

濱口梧陵、津波と堤防

濱口梧陵、津波と堤防

まさに「防災学の道」だ。そして、防潮門扉にも、避難を促す大きな文字がある。この扉は、役場からの遠隔操作で開閉できるらしい。
防災学の道

防災学の道

防潮門扉

防潮門扉

【 広八幡宮 】

安政南海地震で津波からの避難先として、梧陵さんが村人に指示したのが、ここ広八幡宮(ひろはちまんぐう)。女子たちも参拝する。

広八幡宮へ

広八幡宮へ

広八幡宮に参拝

広八幡宮に参拝

広八幡宮には合格祈願の絵馬やおみくじが販売され、ここにも耐久高校のセンバツ甲子園初出場を祝い、激励する掲示があった。
絵馬とおみくじ

絵馬とおみくじ

祝!耐久高校

祝!耐久高校

Top