【 岡公園 】
三浦ちあきさん(左)と伊舞なおみさんの旅。この2人がそろうと“歩く旅”が定番となりつつある。今回は、和歌山市、それも、和歌山城の南側エリアで、徳川吉宗を感じつつ歩いてみた。和歌山市岡山町(おかやまちょう)岡口門(おかぐちもん)のすぐ南にある岡公園(おかこうえん)、その一角にある長屋門(ながやもん)がスタートの地。
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長屋門は、旧大村家(おおむらけ)住宅長屋門のこと。江戸時代末期の中級武士の屋敷の一般的な門という。2017年にこの場所に移築された。新型コロナウイルスの影響で、今は中を見学できない。外から見るだけとはいえ、雰囲気がある。門の前(外側)には、東掘がある。そして、この堀越しの天守閣は、絶景だ。
長屋門の内側は駐車場になっている。門の前に立った女子の右前方に銅像がある。カミソリ大臣の異名がある元外務大臣、和歌山市出身の陸奥宗光(むつ・むねみつ)像だ。切れ味にあやかろうと手を合わせる女子2人。御利益でもパワーでも、もらえるものなら何でももらいたいという思いだ。
今回の旅では行けなかったが、和歌山市吹上の国道42号沿い(小松原5丁目交差点近く)に生誕地の碑がある。機会があれば訪ねてみて。
女子2人の岡公園散策は続く(なかなか旅が始まらない)。鉄道好きの伊舞さんの足取りが軽い。まずは、蒸気機関車C57「くまの号」。貴婦人と呼ばれる車両だ。地球を60周以上走った機関車。強そうだ。この場所に設置されて半世紀。今月は50周年イベントが行われ、運転席などが公開されたらしい。
隣には、かつて和歌山市と海南市結んでいた路面電車、市電の車両もある。1971年4月で廃線となった。その後、車両は処分され、今は、この場所と、海南市内の2か所、2両だけになってしまったのだという。
【 三年坂通り 】
和歌山城公園と岡公園の間は、県道138号和歌山野上線が通っている。和歌山市内では「三年坂通り」として知られる。
長屋門や岡公園の入口(灯籠型の公園名標が立つ)前から三年坂通りをはさんで向かい側には国の重要文化財、和歌山城の岡口門が見える。公園内には、急角度で知られるすべり台が見える。
これからが旅の本番、岡公園前から、歩道を西へ、天守閣を右手に望みながら、県庁前方向に歩いていく。
放送に入らなかったエピソードをひとつ。岡公園と県庁前の中間あたり、通りの向こう和歌山城側に、不明門(あかずのもん)と石垣が見えてきた。今は駐車場の入り口で、石垣の足元には水仙が咲いている。
歩道脇に、小さなお城型の物体がある。何だろう?と興味津々の女子2人。周囲を見回してみると警察のマークに気づいた。
この中には、信号機の制御機が入っている。実は、不明門前交差点の信号機には、和歌山放送ラジオ・チャリティ・ミュージックソンで寄贈した音の出る信号機が設置されている。2011年のミュージックソンで取材し、現地から生放送した。お城型制御機の扉が開けられ、音の出る信号機のスイッチが入れられた。
三年坂通りの南側に上り坂がある。岡山の時鐘堂(じしょうどう)への道だ。女子たちは上っていく。
上りきると奥山稲荷神社の鳥居があり、振り返ると天守閣が見える。そばに植えられている白梅が開花間近だった。
岡山の時鐘堂は、奥山稲荷神社の参道の途中にある。お寺の梵鐘のように外部から鐘は見えない。木造2階建ての建物の中に鐘があり、撞木(しゅもく/鐘搗き棒)だけが、2階から突き出ている。この時鐘堂は、吉宗が作らせたものだ。大正の頃までは、日常的に時を告げていたが、今は、終戦記念日や大晦日にイベント的に打ち鳴らされるだけとなっている。和歌山放送のライブラリーから鐘の音を放送した。さらに和歌山放送ニュースで、時鐘堂の内部が見られる記事があったので、リンクを張っておく。⇒ 和歌山放送ニュース
奥山稲荷神社にお参りする女子2人。
三年坂通りに戻り、県庁前交差点近くまで。徳川吉宗の騎乗像がある。ここにあることはよく知られているが、間近に来たことはあるだろうか。ぜひ訪ねてみてほしい。吉宗も馬も格好良い。
後方の球体は、吉宗が広い視野で物事を考えるというイメージで、広い世界=地球をモチーフにしているらしい。色んな方向から写真を撮ってしまった(笑) そして、吉宗像の近くには、和歌山市の道路元標もある。
【 南へ 】
三年坂通りを西へ歩いてきた女子2人は、吉宗像のところで、南に向きを変え、県立近代美術館の脇へ。「和歌山県の花」というプレートとともに、紅梅が植えられていて、丁度、満開に咲き誇っていた。
岡山幼稚園、和歌山大学教育学部附属小中学校の前を通り、路地に出た。国道42号の1本東側の道だ。道端に、柵で囲われている場所があることに気がついた。石柱に「徳川吉宗公誕生地」と書かれている。ひっそりと佇んでいて、知る人ぞ知るという感じだ。三浦さんがミーハーチックに興奮気味だ。
和歌山西警察署前を通り、寺町通りに出た。通りを東に少し歩き、信号を南へ。少し歩くと、古民家カフェ「和茶縁(わちゃえん)」がある。立ち寄って、休憩する。木造の風合いが素敵な、落ち着いた空間が広がっている。三浦さんは「かぼちゃのケーキ」、伊舞さんは「抹茶パフェ」を注文し、すっかりくつろいだ。さぁ、旅を再開しよう。
【 首大仏 】
寺町通りと桐蔭高校の間の道沿いに無量光寺(むりょうこうじ)がある。門をくぐると左側に大仏さまがいる。それも、首から上だけ。それでも、高さは3メートル。女子2人は驚きを隠せない。
末寺で火災があり、焼け、復旧途中だった大仏さまの首は、縁あって、無量光寺へ安置されたという。首から上のことなら何でも願いが叶うといわれ、この時期だと、受験祈願の参拝者が多いそうだ。女子たちは、頭もそうだが、ルックスについても願いごとが沢山あるようで、しっかりお参りしていた。
【 拾い親 】
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岡公園の近くまで戻ってきた。女子たちは、刺田比古神社(さすたひこじんじゃ)に参拝しようと鳥居をくぐった。「徳川吉宗公の拾い親の神社」と書かれた幟が並ぶ。そして、白い馬もいる。神馬と書かれている。まずはご挨拶をしておこう。
禰宜(ねぎ)の岡本和宜(おかもと・かずのり)さんに、神社のこと、幟のこと、神馬のことなどを教えてもらう。刺田比古神社は、全国でここだけ。万葉集にある大伴家持(おおともの・やかもち)などの大伴家を祀っているという。
かつて、厄年に生まれた子どもは親の厄を背負っているとして縁起が良くないと考えられていたらしい。吉宗は厄年生まれということから、一度捨てられ、神社の宮司が箕(みの)で拾うという儀式をしたという。それで厄を払い、神の子となった。加えて、長男だけが家督を継ぐとされていた時代に、吉宗は四男として生まれたにもかかわらず、紀州藩主になり、やがては八代将軍にもなった。この神社で厄を落としたことで出世したとして、神社が大事にされ、長く乗っていた馬が奉納されているのだとか。吉宗からの書状(朱印状)も見せてもらった。以来、出世の神社、拾い親の神社とされ、全国から参拝者が訪れるという。女子たちも、しっかりお参りした。
【 岡公園再び 】
岡公園に戻ってきた。岡公園は、標高21.1メートルの低い岩山=天妃山(てんぴざん)を囲む立地となっている。