【和泉葛城山】
紀北、和泉山脈の和歌山県の最高峰、和泉葛城山(いずみかつらぎさん)。標高853m。生石高原や高野山がほぼ同じ高さだ。ここは和歌山県と大阪府の境界、市町村でいえば、紀の川市と岸和田市、貝塚市が接するあたり。紀の川市の神通(じんづう)温泉前から紀泉(きせん)高原スカイライン(林道紀泉高原線)でアクセスできる。その山頂近くからスタート。旅女子は伊舞なおみさん(写真左)と柳橋さやかさん。この2人での2度めの旅は「修行」をテーマにしてみた。今年(2020年)認定されたばかりの日本遺産「葛城修験(かつらぎしゅげん)」から、ゆかりの地をめぐってみる。ともに、普段ステージに立つことも多い女優だが、今年は新型コロナウイルスの影響で、その場も少なくなった。とはいえ、きっと普段から体力づくりには余念がないはず。それが、この旅で明らかになる!?
和泉葛城山頂近く
☆番組は、ここから聞くことができます。
日本遺産「葛城修験-里人とともに守り伝える修験道はじまりの地」
和歌山~大阪~奈良の境にそびえる葛城の峰々。和泉山脈から金剛(こんごう)山地の険しく厳しい尾根伝い。修験道(しゅげんどう)の開祖と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)が初めて修行を積んだとされる地で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」の吉野・大峯(おおみね)と並ぶ「修験の二大聖地」と称されている。そして、この地には、役行者が法華経(ほけきょう)を1品(ほん)ずつ埋納したという28の経塚(きょうづか)があり、今も修験者(しゅげんじゃ)たちが、経塚やゆかりの寺社、滝や巨石をめぐるという。そして、その修行には、いつの時代も、そこに暮らす人々との深いつながりがあった。修験者や地域の人々が大切にしてきた聖地「葛城修験」――修験道の歴史は、ここから始まった。
八大龍王神社に参拝
ここに経典が!?
和泉葛城山の山頂、紀の川市側にある八大龍王(はちだいりゅうおう)神社は、第9経塚「嶺の龍王」として、授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)が納められている。スタート写真の背後の参道を上っていくと神社がある。実はここ、背中合わせに大阪側にも神社がある。貝塚市の高龗(たかおがみ)神社だ。そして、参道の石段を下りるとブナの原生林が広がっていたりするが、今回は和歌山県側を旅する。ただ、府県境がそこにあると知ると女子2人は少しはしゃいだ。あたりは、金剛生駒紀泉国定公園のエリア。
府県境を挟んで女子2人
和泉葛城山には、近畿自然歩道を含め遊歩道がたくさんある。そのうちの一つ、尾根伝いの道を女子2人は進んでいく。生い茂る笹がどんどん深くなる。やがて、笹は背丈に達するほどになり、手袋をし、かき分けながらの歩行となった。子どもの頃だったら、ガサガサと音を立てて楽しいだろうなと伊舞さん。修行というより冒険だと柳橋さん。すると、目の前に円形の塔が現れた。女子2人は、ゲームの登場人物になったかのようだと楽しそうだ。
笹が生い茂る遊歩道
円筒形の展望塔出現
駐車場から八大龍王神社、そして、展望塔へと進むあいだにも、チラチラと眼下の景色は見えていたが、らせん階段で展望台に上ると、360度の眺望が開けた。山頂近くに立つ、3階建てほどの高さの展望塔だから、視界を遮るものが全くないのだ。
大阪側の絶景を堪能
大阪側の眺望
北側は大阪平野、大阪湾が一望でき、関西空港や神戸の街並みまで見通せる。実はここ、夜景の名所だったりもする。「自宅が見えるはずだよ」と伊舞さん。南側は、和歌山の高野山から連なる山々が、濃淡の霞の中に見え、まさに絶景だ。近距離に視線を落とすと和泉葛城山の紅葉した木々が楽しめた。数々の絶景を見てきたがここは別格と柳橋さん。
和歌山側の絶景も堪能
和歌山側の眺望
駐車場に戻り、近くの広場で昼食タイム。「ラジオで女子旅」初、屋外でのお弁当。上ってくる前に、地元のスーパーで好きなものを選んでもらった。伊舞さんは栗ご飯、柳橋さんは揚げ物多めの海苔弁当。女子のカラーが出るね。近くには、同様にお弁当を広げる行楽客の方々もいて、眼下の景色にはしゃいでいた。もちろん、この場所でも、そこそこの絶景だが、「10分ほど歩くと超絶景の展望塔があるよ」と教えてあげたい気分だった。新型コロナウイルスの影響で、飲食店などでの密の回避が求められている中、山の上のおいしい空気とともに味わうお弁当は、とてもおいしかった。
山頂付近の広場でお弁当
さあ、次に行こうかと、山を下り始めた。途中、あまりにきれいに実ったみかんや柿の景色に出会い、思わず車を停めた。子どもの頃、家族でみかんを収穫し、うまく狩れずによく叱られたと伊舞さん。ほかにも、キウイフルーツの鈴なりの実りも見た。
みかん山に2人
柿の実りと女子2人
【丹生都比売神社】
かつらぎ町にある世界遺産「丹生都比売(にうつひめ)神社」へ。まさに紅葉が真っ盛り。ロケ日は七五三の当日(11月15日)で、かつ日曜日だったことから、参拝客や観光客で大にぎわいだった。鳥居をくぐり、大きな太鼓橋を渡る。周囲は紅葉した色鮮やかな木々に包まれていて、あちらでもこちらでも記念撮影の嵐(笑)。
丹生都比売神社は紅葉が盛り
太鼓橋と紅葉と女子2人
太鼓橋から、中の鳥居、そして、拝殿のある楼門(ろうもん)を望む景色も美しく、なかなか歩みが進まない。神社の名まえにもなっている「丹(に)」の色(深みのある赤色)と、紅葉の赤のグラデーションが見事な競演を見せていた。見事な景色にため息つきまくりの女子2人。
太鼓橋から楼門を望む
鳥居と紅葉、赤の競演
さらに拝殿の前の水盤にはバラと紅葉が飾られ、華やかさと季節感を表していた。紅葉も含めた秋の行楽シーズンに高野山麓を旅してもらおうという、この地域の取り組み「高野山麓世界遺産アクセスキャンペーン」が9月中旬から11月末まで、土曜日曜祝日限定で展開され、観光地を結ぶバスが運行され、ここ丹生都比売神社では、本殿の特別拝観が行われていた。女子旅一行もこの特別拝観に参加させてもらった(新型コロナウイルス対策で人数を限定しての行事だったので、希望者の枠を減らさないよう報道参加に)。
拝殿前にはバラと紅葉
本殿でお祓いを受ける
本殿でお祓いを受けたあと、神殿の前で丹生晃一(にう・こういち)宮司が、神社の由緒や歴史、祭神、社殿、それに葛城修験についても話を聞かせてくれた。日本書紀にすでに登場するという丹生都比売神社、天野(あまの)の地。神仏習合(しんぶつしゅうごう)の歴史が、ユネスコが最もユニークだと評価した世界遺産のポイントだという。そして、高野山との関係も深く、高野山詣でにはここにまず、参拝する。高野山の僧侶も修行を終えればお札を納めに来る。大峯の修験者もこの神を背負って修業し、今も祭典が残るとか。また、丹の色は、魔よけとして大切にしてきたという。
本殿で宮司から説明を
丹生晃一宮司とともに
丹生宮司に紹介された大峯修験者の碑を訪ねた。丹生都比売神社の本殿から徒歩数分の場所に立つ、4本の卒塔婆(そとば)型の石柱だ。神社の華やかさとは一変、いにしえの時代にタイムトリップしたかのような、別の神聖な空気感があった。
大峯修験者の碑
大峯修験者の碑について
【不動山】
ついに修行の時がやってきた。橋本市杉尾(すぎお)にある不動山(ふどうやま)に上る。山道を行くのではなく階段(石段)を上るのだ。その数635段。お灯(とう)まつりで知られる新宮市の世界遺産、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)の摂社(せっしゃ)、神倉(かみくら)神社の急な石段は538段。神倉神社がごつごつした岩で作られた鎌倉積(かまくらづみ)といわれる石段なのに比べ、不動山の石段は一見規則的だが、急こう配なのは引けを取らない。今回の旅女子2人は神倉神社を経験しているので、それより約100段多いことに若干ひるむ。しかし、山頂にある巨石と、その穴から聞こえるという環境省の「残したい日本の音風景100選」に選ばれた不思議な音には興味津々。ここは上るしかないと気合いを入れた。
不動山登山口駐車場の案内板前
不動山下の明王寺に参拝
まずは、ふもとの明王寺に参拝。そして、石段の前へ。あまりの急こう配に笑いがもれた。よし、行くぞ!
階段下に到着
階段を上っていく女子2人
最初は、規則正しく、やや高めの石段だったのが、低めになったり、木の段になったり、少し曲がったりしながらずーっと続いている。そう、特徴は、途切れず、ずーっと続いていること。そして、ずんずん進む伊舞さんに対し、休みながら上っていく柳橋さん。どんどん距離が開いていく。
先行く伊舞さん
ゆっくり上る柳橋さん
振り返るとふもとの杉尾集落が遠く小さくなっていた。勾配が急なので短時間でかなりの高さを上っているのだと、改めて知る。先行く伊舞さんが階段脇の木のベンチに座って、柳橋さんが追いついてくるのを待っていた。下を見てみてと伊舞さんにすすめられた柳橋さんは、景色を楽しむ余裕がないと話した。
ふもとの杉尾集落が遠くに
あと224段
「ここは何段めか」と伊舞さん。「500段くらい」と希望的観測を口にした柳橋さん。それに対して、脇に「224段」と書かれていることを教えた伊舞さん、まだ半分も上っていない事実に愕然とする柳橋さんという場面があり、放送でも紹介したが、実は、これ「残り224段」だったことが判明した。つまり、この時点で、「411段」上っていた計算になる。希望は含まれているが、柳橋さんの数字はそれほど外れてはいなかった。しかし、どうして、この中途半端な段数表示があるのかという疑問が残った。実は、見逃しただけで、もっと下にもあったかも・・・。
休憩所と大楠公腰掛の石
地元の方からの労いとメッセージ
ようやく石段を上り切った。411段を224段と思って後半を上った女子たちには、あっけなく終わりがやってきた感じ。それはそれで良かったのかも知れない。石段の終わりには広場があり、休憩のための小屋もある。屋根もある。そして、そこに地元の人からの労いと、「きれいに使ってね」というメッセージ文があった。そして、小屋の前には「大楠公(だいなんこう)腰掛の石」なる岩があった。ちなみに大楠公は鎌倉時代の武将、楠木正成(くすのき・まさしげ)のこと。
いよいよ巨石へ
石の穴に耳を当ててみる
休憩スペースの上方には巨石が見えていた。その下に、不思議な音が聞こえるという岩の穴らしき穴もあった。直径・奥行きともに20センチ前後のきれいな円形の穴だ。早速、女子2人が耳を近づけて「音」を聞いた。何の音かは判別できないものの、かすかに確かに音は聞こえた。この音は敢えてお届けしない。皆さんが実際に上って聞いてほしいからだ。一般には「紀の川の流れの音」といわれ、昔はよく聞こえていたが、今は付近に道路ができ(車が走り)、住民の暮らしぶりが変わって、音が変化した(昔ほど聞こえなくなった)とも聞く。「この世の音か、あの世の音か」という神秘の音ともいわれ、季節や天候によって聞こえる音や聞こえ方が違うらしい。ちなみに、
公益財団法人「日本騒音制御工学会」が、サウンドライブラリとして、環境省選定「残したい日本の音風景100選」の音をWEBで公開している。女子たちが聞いた音は、この音とは違ったということは伝えておく。
不動山の巨石
まさに巨石があった。上ってきた甲斐はあった。女子2人は手を合わせる。なお、この巨石の近くには、ほかにも大岩がゴロゴロ。その昔、一言主(ひとことぬし)の命により、葛城山から金峯山(きんぷせん)に橋を架けようとしたが、人目を避けて昼間に作業しなかったため、結局、石を集めただけに終わったという伝説があるらしい。金峯山は、奈良県の大峯山脈の吉野山(よしのやま)から山上ヶ岳(さんじょうがだけ)のこと。吉野山は、桜の名所の吉野山。そして、吉野山には、世界遺産の金峯山寺(きんぷせんじ)があり、修験道の中心地の一つとなっている。話はつながったが、橋はつながらなかったということだな。女子2人の修行は続く・・・のか。
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