【一面の銀世界】
今シーズンの冬は寒い。そうはいっても和歌山は南国だから…。その思いが通じないほどに寒い。紀北では雪が降る日もあって積雪も観測されたりと。気象庁によれば、ラニーニャ現象のため、日本付近に寒気が流れ込みやすくなっているんだとか。2月も終盤になって、ようやく日中は暖かいと感じる日もある、といった程度にはなってきた。今月の女子旅は、寒波が襲来し、朝、和歌山市が真っ白になったそんな日に出掛けることになった。行程変更が余儀なくされそうな予感の中、和歌山放送の駐車場も例外ではなく、出鼻をくじかれる。積もった雪で車のワイパーが動かないほど。
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【スタート地点】
今回の旅のスタート地点として予定していたのは生石高原(おいしこうげん)。先月(1月)の旅で訪れた高野山とほぼ同じ、標高840メートル。360度の景観の中に、和歌山市と有田川流域を展望し、有田地域へと旅を進め、寒い中にも春の兆しを見つけられれば、というプランだった。しかし、大方の予想通り、積雪に阻まれ、生石高原に行くことができない事態に直面した。生石高原どころか、有田・有田川地域へとつながる紀美野町との境界、札立峠(ふだたてとうげ)にすら行けない始末。三浦ちあきさんの旅のパートナーは五島奈津紀さん(写真左)。
そんな訳で、生石高原へとのぼる登山者用駐車場をスタート地点とすることに。月に2回だけ開かれる「小川の郷直売所」がある場所だ。案内看板を見ると、フェイスブックとインスタグラムを展開しているようだ。ただ、この日は開店日ではなかったので、あたりは静か。車を降りると、吐く息が白い。周囲には積もったばかりとみられる雪。寒い。水車があり、つららができている。めだかが泳いでいると書かれているが、この寒さではさすがに見つけられない。水の音がイイ感じ。「癒やされるなー」と言いつつ、すでに珍道中の予感がする。
女子2人は、直売所内に置かれている紀美野町のガイドマップや観光案内を見ながら行けなかった生石高原に思いを馳せる。広大なススキ草原の生石高原の写真に、行きたかったなぁの気持ちが募る。この場所からは、山頂付近に立つ、沢山の鉄塔が見えている。暖かくなったらリベンジしようと誓う女子2人だった。
三浦さんは富山県=雪国出身なので、雪は珍しくはないはず。県南部出身で、和歌山で育った五島さんは雪が珍しい組。そこにきれいな雪があれば、雪だるまを作りたくなるもの。例にもれず、五島さんが主導する形でミニだるま作り。新雪だから、固まらない。手でギュッと固めて、パン作りみたい…。五島さんが雪の上をコロコロ、だんだん大きくなり、あっという間にソフトボール大?三浦さんも小さい玉を作って、重ねて完成!高さ15センチくらいか。
雪が少し積もっているベンチに置いて記念撮影。う~ん雪だるまというより、ひょうたんのような…。雪玉を転がして、白い雪が大きくなっていくというのは、和歌山としては珍しい。子どものころ、雪が積もるとうれしくて、雪だるまを作った経験はあるが、すぐ土がついてしまった―とは、五島さんの思い出話。雪だるまに別れを告げて、旅が動き始める。峠越えが叶わないので、海南方面に下るかたちになる。
【懐かしの野鉄】
紀美野町下佐々(しもささ)でレトロな電車の車両を見つけた。ここは大きな樟(くすのき)が立つ、その名も「くすのき公園」。
オレンジ色と白っぽい色のツートンカラーの野鉄(のてつ)こと野上電気鉄道の車両が1両ある。鉄柵に囲まれているので、車両の中に入ることは叶わない。この日は冒頭から叶わないことが多い気がする。この公園の近くには、かつての野鉄の終点、登山口駅がある。その場所は、大十(だいじゅう)バスの本社となっている。野鉄廃止後に代替路線バスを運行している会社だ。そういったことで、ここに1両残されているのかも知れないなどと思うところ。
説明を読めば、阪神電鉄で30年ほど運用されたあと、野鉄で廃線まで走っていた車両とのこと。昭和9年(1934年)日本車輌製、木造から鉄製にしたという。窓や扉が木造の名残がある。レトロでかわいい車両だ。大きな窓の上にもうひとつ横長の窓、あかり窓があるのが特徴らしい。
車両の中に入ることはできなくとも、中をうかがうことはできる。車内に路線図や宣伝がそのまま残る。丸正百貨店(かつて和歌山市本町にあった老舗百貨店。2000年に自己破産)や海南中央市場の広告に「懐かしい」と五島さん。少し朽ちかけた野鉄のヘッドマークも年月を物語る。廃線から、まもなく四半世紀という。この車両は、その時点から時が止まっているかのようだ。
野鉄は、くすのき公園近くの登山口駅から、海南市にあるJR海南駅近くの日方(ひかた)駅までの11.4キロを結び、特産のしゅろ製品や住民を運んでいた。廃線は1994年3月末。