人と歴史を深める、海南の旅

【 海南 】

和歌山市の隣に位置する海南市。海岸部は、和歌山港というか、和歌浦湾にあたり、日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」を構成する史跡や文化財も多い。今回は、そのうちの温山荘園(おんざんそうえん)と藤白神社(ふじしろじんじゃ)を訪ねる。旅人は、伊舞なおみさん(写真右)と関陽菜子アナウンサーだ。このコンビは、関アナのこの番組デビューとなった今年1月以来、8か月ぶり2回目となる。取材・収録に訪れたのは、まだまだ残暑が厳しい頃だったが、放送の頃には、秋の気配も感じられるようになってきた。歴史にはまる秋とか、いい感じだ。

旅のはじまり

旅のはじまり

☆番組は、ここから聞くことができます。

【 温山荘園 】

「温山荘(おんざんそう)」が最もよく耳にする呼び方で、地元を中心に「新田(にった)の別荘」ともいわれる。正式には、「琴ノ浦(ことのうら) 温山荘園」という公益財団法人となっている。今回は、常務理事(業務執行理事)の枡田賢一(ますだ・けんいち)さんに案内してもらった。

温山荘園は日本庭園で、大阪に本社がある世界的な産業用ベルトメーカー、新田株式会社の創業者、新田長次郎(にった・ちょうじろう)氏によって造園された別荘の庭園。「新田の別荘」とはまさにその通り。明治最後の年(1912年)、長次郎氏56歳で造園に着手、晩年まで、手を加え続けられたようで、建築や造園は大正時代の香りが中心となっている。門を入るとほどなく、右側に長次郎氏のブロンズ像が立っている。女子2人は、枡田さんと、像の前で記念撮影し、散策をスタートする。

常務理事の枡田さんと

常務理事の枡田さんと

新田長次郎像前で

新田長次郎像前で

広さは、全体(海南市に無償貸与されている温山荘公園と、県立自然博物館を含む)で1万8千坪、庭園部だけで1万4千坪という。枡田さんの話だが、数字が大きすぎてピンとこなかった。1万4千坪は4万6千平方メートルあまりとなり、ほぼ東京ドームと同じ大きさと分かる。そして、個人の庭園としては日本一と知った。現場でちゃんと驚きたかった(反省)。そして、琴ノ浦は、地名で、和歌にも残っていることから、美しい浦(海岸・湾など)だったのだろう。庭園は国の名勝、建物は国の重要文化財となっていて、最近は、ブライダルの前撮りに人気で、年間300組が訪れるという。
枡田さんの案内

枡田さんの案内

主屋(本館)の玄関前

主屋(本館)の玄関前

温山荘園と名付けたのは、明治の日本海軍の指揮官、東郷平八郎(とうごう・へいはちろう)氏という。長次郎氏の書の雅号が温山だったのが理由という。主屋(しゅおく)=本館の軒先に「温山荘」という東郷平八郎の書による扁額が掲げられている。広間には、歴史の登場人物の書の扁額も掲げられている。廊下は樹齢600年のけやきの一枚板という。
主屋(本館)の廊下

主屋(本館)の廊下

潮入式池泉回遊庭園

潮入式池泉回遊庭園

池は、海水を引いているので、干満によって水位が変化するらしい。そんな池を中心に庭が構成されている「潮入式池泉回遊庭園(しおいりしき・ちせんかいゆうていえん)」と教えてもらった。
枡田さんの案内

枡田さんの案内

枡田さんの案内で散策

枡田さんの案内で散策

女子たちは枡田さんの案内で、本館や地下室、茶室、浜座敷と、池を回るように訪ね歩いた。
浜座敷へ

浜座敷へ

浜座敷

浜座敷

最後はトンネル。もともとは手掘りだったといい、今も一部が残され見学できる。本館に涼しい風を送るために作られたそうだが、マジで涼しい。
トンネルを通る

トンネルを通る

トンネルからの景色

トンネルからの景色

そして、トンネルを抜けると、西側の海の視界が開けた。今は、入江をはさんで、和歌山マリーナシティが遠くに見える。
西側からの眺め

西側からの眺め

温山荘園の門で枡田さんと

温山荘園の門で枡田さんと

放送には登場しなかったが、庭園内には、色んな灯籠があった。歴史を感じるもの、ユニークなもの、映えるものなどなど。
マリア灯籠

マリア灯籠

ハート型の窓がある灯籠

ハート型の窓がある灯籠

残暑の厳しい中、季節感といえば、ソテツの雌花が咲き始めていたのと、イチョウにギンナンが実り始めていた。これからは秋景色、年が明けると、2月からはひな人形が約500体飾られるという。季節ごとに、ぜひ、訪れてみてほしい。
ソテツの雌花

ソテツの雌花

イチョウにギンナン

イチョウにギンナン

【 藤白神社 】

今度は、はるか昔からそこにある藤白神社を訪ねた。ここは、熊野参詣道(くまのさんけいみち)・紀伊路(きいじ)の藤白王子跡でもあり、全国鈴木姓のルーツ、鈴木屋敷もある、そんな場所。現在売り出し中という、30代半ばの若い、西岡良徳(にしおか・よしのり)宮司が迎えてくれた。まずは、拝殿、その奥が本殿で、鈴木氏のご先祖と熊野三山の神々に、天照大神(あまてらすおみかみ)、それに、熊野古道の祓戸王子(はらえどおおじ)の神を合祀しているそうだ。本殿のお隣が権現本堂で、平安時代後期の作という熊野三山の本地仏が三体揃っている。神仏習合の名残という。仏像好きを自負する関アナは前のめりに話を聞き、仏像に見入る。神社に仏像がある驚き、三体揃ってこんなに美しくと驚いてばかり。

西岡宮司と本殿へ

西岡宮司と本殿へ

西岡宮司と本地仏

西岡宮司と本地仏

境内の脇に熊野古道の道標があり、熊野古道なのだと改めて知る。藤白王子は、古道に数多ある王子の中で格式が高い五体王子のひとつ。「どこから来られましたか」掲示板がある。全国の鈴木さんが訪ねてくるためで、関アナは鈴木になりたいと、鈴木として訪ねたたかったと話した。もちろん、鈴木さん以外も歓迎されている。
どこから来られましたか

どこから来られましたか

熊野古道・藤白坂へ

熊野古道・藤白坂へ

境内には大きなクスノキがある。ご神木で千年楠と呼ばれているとか。近づいて触れる。女子たちはパワーをもらう。名付けの楠でもあり、子守の宮こと楠神社がある。楠・熊・藤を授かることが多いとされ、世界的博物学者の南方熊楠(みなかた・くまぐす)もここで授かったとか。
神木の千年楠

神木の千年楠

神木の千年楠

神木の千年楠

千年楠から徒歩数分、復元なった鈴木屋敷へやってきた。以前、解体され、再建工事中に訪れたという伊舞さんは、完成した屋敷に感慨深げだ。
鈴木屋敷への案内

鈴木屋敷への案内

鈴木屋敷前で西岡宮司と

鈴木屋敷前で西岡宮司と

玄関を入ると、協力してくれた全国の人たち(ほとんどが鈴木姓)の銘板があったり、復元で出てきた資料が展示されていたり、工事の様子が写真で紹介されていたり。
鈴木屋敷復元の部品など

鈴木屋敷復元の部品など

鈴木屋敷内の展示

鈴木屋敷内の展示

屋敷の中には、鈴木家にまつわる資料などが展示されている。鈴木家の家系図もある。芳名帳を見ると全国各地から鈴木さんが訪ねているのが分かる。
鈴木屋敷の絵図や書物

鈴木屋敷の絵図や書物

鈴木家の家系図

鈴木家の家系図

庭園を眺められる縁側もある。女子2人は、風鈴の音を聞きながら、ひととき、ぼーっとする。
鈴木屋敷で庭園を眺める

鈴木屋敷で庭園を眺める

鈴木屋敷の庭園

鈴木屋敷の庭園

ふたたび、藤白神社に戻った女子2人は、登録博物館について、学芸員でもある権禰宜の中井万里子(なかい・まりこ)さんに教えてもらう。言うのは簡単だが、登録してもらうのは大変だったという。県内の登録博物館は、和歌山市にある県立博物館、市立博物館、県立紀伊風土記の丘と、海南市にある県立自然博物館で、このほど、藤白神社や鈴木屋敷などを含めた藤白王子跡ミュージアムが仲間入りした形。歴史と文化を継承し、広く知ってもらうための方法の一つと話す。
提灯が格好いい

提灯が格好いい

権禰宜の中井万里子さんと

権禰宜の中井万里子さんと

ここが、藤白王子跡だと理解することで、全ての謎が解けていく。なぜ、ここは、藤白王子なのか、なぜ、鈴木屋敷があるのか、どうして、全国鈴木姓のルーツと言われるのか、神社なのに仏像があるのはなぜか、なぜ、熊野三山の本地仏がそろってのこっているのかなど。ぜひ、謎を解きに来てほしいそうだ。まずは秋の例祭(10月第2日曜)あたりから。「夢はふくらんでいる」と中井さん。楽しみだ。
西岡良徳宮司と

西岡良徳宮司と

権禰宜の中井万里子さんと

権禰宜の中井万里子さんと

今回の取材で女子旅チームは、神社東側の駐車場に車を停めて、社務所を訪ね、そのまま、取材や見学に赴いてしまったので、仕切り直して、あらためて、正面の大鳥居に向かい、境内に入り直し、参拝した。
藤白神社への階段

藤白神社への階段

大鳥居をくぐる

大鳥居をくぐる

おまけで、関アナが水みくじに挑戦した。水に浸すと文字が浮かび上がってくるというもの。境内に湧く宮水「紫の水」で浮かび上がったのは「吉」。悪くはないはずだが、本人は「ビミョー」と話した。隣で見ていた伊舞さんが笑っていたが、なんでも縁談について「理想と現実は違うもの」と記されていたとか。「理想が高いのかな。考えたこともなかったが・・・」と関アナ。ちなみに、藤白神社では、紫の水を充填したペン型のお清め水を販売している。成分表示には「紫の水・宮司のまごころ」とある。
藤白神社に参拝

藤白神社に参拝

紫の水

紫の水

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