Dの北尾です。
今週は、休演の赤井さんに変わり、小林睦郎さんが登場しました。
滅多にない、ご自身より年上のパーソナリティがお相手とあって、平阪さんのテンションも、いつもとちょっと違う感じがしました。
例えが難しい・・・のですが、水戸黄門さまと助さん(格さん)の関係のような?
カミカミ暴走する平阪さんを、「コレコレ、そんなことを言ってはいけませんよ」とやんわり諫める睦郎さん。
レアな、面白い組み合わせでした。というか、さすがは睦郎さん、と送出作業をしながら感心しきりでございました。
さて、今回のアイキャッチ画像は、先日お邪魔した田辺市稲成町動鳴気の「紀南観光ぶどう園」さんです!最近、某テレビ局の番組で紹介された影響か、電話などでの問い合わせがひっきりなしでした!
<毎日新聞支局長だより>
毎日新聞和歌山支局の勝野俊一郎支局長(写真右端)に、2か月ぶりにスタジオへお越しいただきました!
今回のテーマは「第五福竜丸建造75年」でした!
1954年3月、南太平洋のビキニ環礁でアメリカの水爆実験に巻き込まれて、「死の灰」を浴びた「第五福竜丸」。もともとはカツオ漁船「第七事代(ことしろ)丸」という名前でした。太地出身で、神奈川県三浦市へ移り住んだ寺本さんという方が、故郷に近いという理由で、古座川町の「古座造船所」に船の建造を発注し、1947年に建造されました。戦後、遠洋業業の規制が緩和された関係で、マグロ漁の船に改造されたそうです。
「第五福竜丸」が和歌山県と縁がある、という話は聞いたことがありましたが、改めて勉強になりました。
さて、ビキニで被爆した「第五福竜丸」のその後ですが、文部省(現在の文部科学省)が買い取り、東京水産大学(現在の東京海洋大学)に預けられ、練習船に改造されて、およそ10年間使用されました。そしてなんと東京の「夢の島」というゴミ埋め立て地に捨てられてしまうのです。見かねた一般の人からの新聞への投書が発端となり、保存の機運が盛り上がります。
1970年、練習船は再び「第五福竜丸」に戻され、6年後の「都立第五福竜丸展示館」がオープンします。
一方、廃船と同時に売却されたエンジンは、貨物船に積み替えられましたが、やがてその貨物船が1968年に座礁してしまいます。海中に沈んだエンジンを、1996年に、海南市の杉末さんが引き揚げ、夢の島に運び、「第五福竜丸」の船体へ戻されたそうです。うーん、どこまでも数奇な運命にある船だったんですね。
和歌山県生まれの「第五福竜丸」。「核の無い平和な世界」への証人として、末永く保存・展示されることを願います。
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♪詠人(うたびと)/北島三郎
♪明日へと(国体バージョン)/ウインズ